2008年08月19日
大いなる実験…1年間の断酒
「冷えた」はビールに限る!
ビールは冷えたものに限るね~ではなく、冷えたものの中でやっぱりビールでしょう!
※20数年前のイスラエルでの常温ビール、10数年前の上海や無錫でのぬるいビールの話はまた別の機会に。
夏といったらビールでしょう(夏を鍋に変えてもOKなんですが…)。
夏のビールはうまいのに~浦添商業の甲子園も北京五輪の星野ジャパンの坊主頭もノンアルコールで応援しております。

週刊かぴぱ337<大いなる実験…1年間の断酒>(2008年8月16日発信)より
▲断酒?禁酒?…お酒やめます
2008年7月某日、思い立って1年間お酒をやめることにしました。既に3週間あまり一滴のアルコールも口にしていません。
※なんでか~っていう理由編はまた別の機会に…。
▲大いなる実験!
1年間お酒飲まなかったら、どんな風になるんでしょう…これは大いなる実験です。横浜商科大学のローバースカウト愛好会での新歓コンパで、人生初の洗礼を受けてからの30年弱、1週間以上お酒を飲まなかった記憶はありません。(飲んだ翌朝、記憶探しの旅に出る事はよくありましたが…)。
▲効果と不安
<効果>予想される(期待しちゃう)こんないいこと
・痩せる
・お金がたまる
・健康になる
・遠くの飲み会に参加できる(車で帰ってこられる)
・新しい趣味の発見
・新しい人間関係の創造
・新しい人生観の悟り
・時間の有効活用
・利きウーロン茶大会に出場
・二日酔いの苦しさがなくなる
<不安>予想されるこんな困ること
・なんだか太りそう
・人間関係の崩壊
・友達がいなくなる
・情報量の減少
・飲み会に誘われなくなる
・ソムリエ資格取得はあきらめる
・利き酒大会の出場はあきらめる
・飲み会で割り勘負けする
・ショットバーでウンチクを語るのがしまらない
・素敵な女性との出会いがなくなる(今まであったわけではないですが…)
・二日酔いの朝、「もう酒やめた」って言えなくなる
よ~し、今後も経過報告させていただきます(ぺこり)。
冠婚葬祭などの特例なしで~よ~し飲むぞ~~お茶!
この実験(若造の酒断ち)は成功(1年間の継続)するのか?ということを賭けの対象にする場合は、是非ご一報を(がんばるぞ~~)。
ビールは冷えたものに限るね~ではなく、冷えたものの中でやっぱりビールでしょう!
※20数年前のイスラエルでの常温ビール、10数年前の上海や無錫でのぬるいビールの話はまた別の機会に。
夏といったらビールでしょう(夏を鍋に変えてもOKなんですが…)。
夏のビールはうまいのに~浦添商業の甲子園も北京五輪の星野ジャパンの坊主頭もノンアルコールで応援しております。

週刊かぴぱ337<大いなる実験…1年間の断酒>(2008年8月16日発信)より
▲断酒?禁酒?…お酒やめます
2008年7月某日、思い立って1年間お酒をやめることにしました。既に3週間あまり一滴のアルコールも口にしていません。
※なんでか~っていう理由編はまた別の機会に…。
▲大いなる実験!
1年間お酒飲まなかったら、どんな風になるんでしょう…これは大いなる実験です。横浜商科大学のローバースカウト愛好会での新歓コンパで、人生初の洗礼を受けてからの30年弱、1週間以上お酒を飲まなかった記憶はありません。(飲んだ翌朝、記憶探しの旅に出る事はよくありましたが…)。
▲効果と不安
<効果>予想される(期待しちゃう)こんないいこと
・痩せる
・お金がたまる
・健康になる
・遠くの飲み会に参加できる(車で帰ってこられる)
・新しい趣味の発見
・新しい人間関係の創造
・新しい人生観の悟り
・時間の有効活用
・利きウーロン茶大会に出場
・二日酔いの苦しさがなくなる
<不安>予想されるこんな困ること
・なんだか太りそう
・人間関係の崩壊
・友達がいなくなる
・情報量の減少
・飲み会に誘われなくなる
・ソムリエ資格取得はあきらめる
・利き酒大会の出場はあきらめる
・飲み会で割り勘負けする
・ショットバーでウンチクを語るのがしまらない
・素敵な女性との出会いがなくなる(今まであったわけではないですが…)
・二日酔いの朝、「もう酒やめた」って言えなくなる
よ~し、今後も経過報告させていただきます(ぺこり)。
冠婚葬祭などの特例なしで~よ~し飲むぞ~~お茶!
この実験(若造の酒断ち)は成功(1年間の継続)するのか?ということを賭けの対象にする場合は、是非ご一報を(がんばるぞ~~)。
2008年08月19日
6回目の結婚記念日
2008年7月25日は6回目の結婚記念日(入籍)でした。

8月3日に沖縄ハーバービューホテルで夕食を食べ、お祝いしました。
電話予約の際にその旨伝えると
・食前酒のサービス
・メッセージ入りのデザート(※上の写真)
・記念撮影したもらったポラロイド写真付きのお祝いカード
◇親子3人の記念撮影は
カピパパブログ⇒ カピパパ3人で6回目を祝うの巻
◇食事の後の疑似フライト体験は
Dacco100motto⇒抱っこ保留中015
週刊かぴぱ336<早いもので6回目の7月25日~ありがとう>(2008年8月4日発信)より
▲7月25日は結婚記念日
お陰さまで、若造夫婦は7月25日に結婚6年目を迎えました(入籍)。どうしてこの日に入籍したかっというと、ハイファイセットの7月のクリスマスって曲が好きで学生時代から結婚するならこの日って思っていた日がカピママのお母さん命日だったのでした。
◇◆詳しい話は
昨年の週刊かぴぱを掲載したブログで(3日連続で掲載の超大作)
⇒7月のクリスマス前日
⇒7月のクリスマス当日
⇒7月のクリスマス翌日
「感謝」という言葉に尽きる今年の7月25日…それ以来、どんなことにも「ありがとう」って言える(思える)ようになりました。
ちょっと宗教っぽい?
ありがとう教を立ち上げる勢い…
すごいです「ありがとう」。
「ありがとう」って言葉に心から「ありがとう」。

8月3日に沖縄ハーバービューホテルで夕食を食べ、お祝いしました。
電話予約の際にその旨伝えると
・食前酒のサービス
・メッセージ入りのデザート(※上の写真)
・記念撮影したもらったポラロイド写真付きのお祝いカード
◇親子3人の記念撮影は
カピパパブログ⇒ カピパパ3人で6回目を祝うの巻
◇食事の後の疑似フライト体験は
Dacco100motto⇒抱っこ保留中015
週刊かぴぱ336<早いもので6回目の7月25日~ありがとう>(2008年8月4日発信)より
▲7月25日は結婚記念日
お陰さまで、若造夫婦は7月25日に結婚6年目を迎えました(入籍)。どうしてこの日に入籍したかっというと、ハイファイセットの7月のクリスマスって曲が好きで学生時代から結婚するならこの日って思っていた日がカピママのお母さん命日だったのでした。
◇◆詳しい話は
昨年の週刊かぴぱを掲載したブログで(3日連続で掲載の超大作)
⇒7月のクリスマス前日
⇒7月のクリスマス当日
⇒7月のクリスマス翌日
「感謝」という言葉に尽きる今年の7月25日…それ以来、どんなことにも「ありがとう」って言える(思える)ようになりました。
ちょっと宗教っぽい?
ありがとう教を立ち上げる勢い…
すごいです「ありがとう」。
「ありがとう」って言葉に心から「ありがとう」。
2008年08月17日
士別の道(若造学歴外伝005)
「理想の上司の姿」…でした。
◆若造はボーイスカウト経験者です。WMC005 ボーイスカウト
(「一回スカウトになったら、ずっとスカウトである…という永遠のスカウトって言葉がありますので、「経験者です」ではなく、「スカウトです」が正解かも知れません…)。
◆若造がお世話になったボーイスカウト札幌第1団(北海道神宮)が今年発団60周ということで、そこに寄稿したものを紹介します。
2008年5月、シニアスカウト時代(高校生)の隊長だった常盤井武宮さん(元福島大神宮宮司)がご逝去されました。心からご冥福をお祈りいたします。
若造学歴(マナブレーキ)外伝
Wakazo Manabureki Count Gaiden

常盤井武宮さん追悼寄稿 若造学歴外伝005「士別の道」
昭和54年シニア隊 幻のインベーダー班班員 H原Y三
私が高校生の時、札幌第一団のシニア(現ベンチャー)隊の隊長は常盤井武宮さんでした。カブは渡井隊長、ボーイの菊池隊長(2隊に別れた時は桜井隊長)、ローバーは桜井隊長にそれぞれ良き指導を受け、充実した期間を過ごすことができました。
そして子供と大人のはざまである高校時代のシニアの常盤井隊長には、とても大きな影響を受けました。父親や兄、先生のような一面もあったのでしょうが、私の記憶の中では「分別・常識のある大人、人生を楽しんでいる人格者」というイメージで、ああいう大人になりたいという憧れの存在だったと思います。
入隊の際の宿泊研修では、「きれいな月を見るために山に高く登る~いくつもある登る道…それが宗教である」という宗教観を教えてくれました。それは私が大学時代に体験したイスラエルのキブツボランティアやヨーロッパ放浪で異国人たちと交流するのに大変役にたちました。
また常盤井さんがウッドバッジ実修所で行かれた山中野営場での楽しそうな話を聞かせてもらいました。その後、横浜の大学でローバー隊に入り、カブとボーイのウッドバッジ研修所を山中野営場で体験し、本物の山中の森かげで♪我はフクロウ~と歌ってキャンプをするという夢をかなえることができました。黒岳で滑ったスキーや、45度のメガネをかけてする卓球なども隊の中ではダントツでうまく、理論だけではなく実践もするカッコイイ大人でもありました。
そんな常盤井隊長のもとでのシニアスカウトの一番の思い出は、高校一年生の夏に行った「士別までのサイクリング」。北海道神宮をスタートし、カブの全道大会をしていた士別まで自転車で行くというものでした。全ての活動はスカウトの自主性に任せ、隊長は何一つ口を挟まない。しかし全くの無関心ではなく、しっかり見ていて本当に困った時、望むなら手を差し伸べる。
例えば、コースが決まり走行距離のスケジュールを立て、宿泊地を決めた段階で登場し、そこなら知り合いだよと妹背牛神社、比布神社、士別神社への宿泊手配をささっとしてくれました(大人の人脈)。またサイクリング当日はワゴン車で決して姿を見せることなく並走してくれました(独立心を養わせる)。
今改めて振り返ると常盤井さんは「理想の上司の姿」です。未熟者・知らない者には、ついつい効率のいい方法を教えたくなりますが、常盤井さんは「自分たちで考えて行動することの重要性」を我慢強く教えくれました。それは30年ほどたった現在、ずしりと感じます。きっと「奴さん、やっとわかったのか」といつもの笑顔で空の上からみていることでしょう。
本年5月ご逝去された常盤井さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
◆若造はボーイスカウト経験者です。WMC005 ボーイスカウト
(「一回スカウトになったら、ずっとスカウトである…という永遠のスカウトって言葉がありますので、「経験者です」ではなく、「スカウトです」が正解かも知れません…)。
◆若造がお世話になったボーイスカウト札幌第1団(北海道神宮)が今年発団60周ということで、そこに寄稿したものを紹介します。
2008年5月、シニアスカウト時代(高校生)の隊長だった常盤井武宮さん(元福島大神宮宮司)がご逝去されました。心からご冥福をお祈りいたします。
若造学歴(マナブレーキ)外伝
Wakazo Manabureki Count Gaiden

常盤井武宮さん追悼寄稿 若造学歴外伝005「士別の道」
昭和54年シニア隊 幻のインベーダー班班員 H原Y三
私が高校生の時、札幌第一団のシニア(現ベンチャー)隊の隊長は常盤井武宮さんでした。カブは渡井隊長、ボーイの菊池隊長(2隊に別れた時は桜井隊長)、ローバーは桜井隊長にそれぞれ良き指導を受け、充実した期間を過ごすことができました。
そして子供と大人のはざまである高校時代のシニアの常盤井隊長には、とても大きな影響を受けました。父親や兄、先生のような一面もあったのでしょうが、私の記憶の中では「分別・常識のある大人、人生を楽しんでいる人格者」というイメージで、ああいう大人になりたいという憧れの存在だったと思います。
入隊の際の宿泊研修では、「きれいな月を見るために山に高く登る~いくつもある登る道…それが宗教である」という宗教観を教えてくれました。それは私が大学時代に体験したイスラエルのキブツボランティアやヨーロッパ放浪で異国人たちと交流するのに大変役にたちました。
また常盤井さんがウッドバッジ実修所で行かれた山中野営場での楽しそうな話を聞かせてもらいました。その後、横浜の大学でローバー隊に入り、カブとボーイのウッドバッジ研修所を山中野営場で体験し、本物の山中の森かげで♪我はフクロウ~と歌ってキャンプをするという夢をかなえることができました。黒岳で滑ったスキーや、45度のメガネをかけてする卓球なども隊の中ではダントツでうまく、理論だけではなく実践もするカッコイイ大人でもありました。
そんな常盤井隊長のもとでのシニアスカウトの一番の思い出は、高校一年生の夏に行った「士別までのサイクリング」。北海道神宮をスタートし、カブの全道大会をしていた士別まで自転車で行くというものでした。全ての活動はスカウトの自主性に任せ、隊長は何一つ口を挟まない。しかし全くの無関心ではなく、しっかり見ていて本当に困った時、望むなら手を差し伸べる。
例えば、コースが決まり走行距離のスケジュールを立て、宿泊地を決めた段階で登場し、そこなら知り合いだよと妹背牛神社、比布神社、士別神社への宿泊手配をささっとしてくれました(大人の人脈)。またサイクリング当日はワゴン車で決して姿を見せることなく並走してくれました(独立心を養わせる)。
今改めて振り返ると常盤井さんは「理想の上司の姿」です。未熟者・知らない者には、ついつい効率のいい方法を教えたくなりますが、常盤井さんは「自分たちで考えて行動することの重要性」を我慢強く教えくれました。それは30年ほどたった現在、ずしりと感じます。きっと「奴さん、やっとわかったのか」といつもの笑顔で空の上からみていることでしょう。
本年5月ご逝去された常盤井さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
2008年08月15日
わら人形事件の真相(若造学歴外伝004)
BGMにスタンド・バイ・ミーをかけるとより一層楽しめる…らしいです。
◆若造はボーイスカウト経験者です。
(「一回スカウトになったら、ずっとスカウトである…という永遠のスカウトって言葉がありますので、「経験者です」ではなく、「スカウトです」が正解かも知れません…)。
◆若造がお世話になったボーイスカウト札幌第1団(北海道神宮)が今年発団60周ということで、そこに友人が寄稿したものを紹介します。若造もY三という名前で目撃者談で登場しています(ぺこり)。
若造学歴(マナブレーキ)外伝
Wakazo Manabureki Count Gaiden

WMC005 ボーイスカウトの思い出…。
若造学歴外伝004「わら人形事件の真相」
OB北から南から
「わら人形事件」は1団のスタンド・バイ・ミーと言っても過言ではない!
昭和52年ボーイ隊ハヤブサ班次長 N島E俊
この度は札幌第一団の発団60周年おめでとうございます。今回執筆の機会をいただき重ねて御礼申し上げます。
それでは忘れようとしても忘れられない少年時代のある思い出…「わら人形事件」をちょっと客観的にお届けします(BGMにスタンド・バイ・ミーをかけるとより一層楽しめます…きっと)。
■事件のあらまし
昭和49年の夏に北海道神宮の梅林で行われた札幌第一団のボーイ隊隊キャンプの2日目の朝、3人の見習いスカウト(E俊・Y田M・T部)が忽然と消え大騒ぎになった事件。しばらくして3人は元気な姿で発見されるが、夜中に降った雨が流れている円山公園への坂で「わら人形」を流していたことが発覚、キャンプ撤収後に3人は正座を3時間しながら反省をした。
■なぜ3人なのか?
Y田MとT部はタイガー班(班長H間兄・次長C田B)、E俊はハヤブサ班(班長I井T・次長Y田T)である。その日のタイガー班は欠席・早退者が多く宿泊をしたのは見習いの2名だけ。2人と仲がよかったE俊がタイガー班のテントに消灯前にちょっと遊びに行っていた。以下目撃者談(ハヤブサ班見習いY三):消灯前にE俊がハヤブサ班のテントに戻ってきましたが、同期のH川に「こっちは狭いからE俊あっちに寝ればいいべや!」と言われて、今度は寝袋を持ってまたタイガー班のテントに行きました。
■「わら人形」の作り方
この事件の核心の部分である「わら人形」。当時のスカウトキャンプでは、雨対策でテントの周りに側溝を毎回掘っていました。スノコ板などは使っていなかったので、雨の日はグランドシートが湿気ってきます。その日は雨が予想されたので、あらかじめゴザが各班に支給されました。わら人形はそのテントの中に敷いていたゴザのほつれ部分を集めて作られて流された…と思われていました。
■わら人形は流されていない!
3人がわら人形を流していたとされているが、実際はそうではありませんでした。以下本人談(ハヤブサ班見習いE俊):あの日、早起きした我々は、深夜の大雨の状況を確認するためにサイト周りの点検をしに行ったんです。そして坂を流れる雨水を発見しました。この危険をリーダーに知らせようとしたのですが、「その前にわら人形を流して危険度を確認しよう!」と言うことになりました。
3人はテントに戻り、わらを集めはじめるととても違和感がありました。人の気配がないと感じたら実際誰もいなかったのです。みんな宇宙人に消された?…と思ったら、朝礼が始まっていました。そしてあわてて着替えて、猛ダッシュしたのでした。やっと真実を、この事件の真相を語れる日がきたことを感謝します。
■隠された真実
わら人形は流されてもいないし、作られてさえもいなかった。どうしてその真実が伝わらなかったのか?「猛ダッシュした後の3人は説明がうまくできず…わら人形って言っちゃった」「叱られている見習いスカウトに発言権はほとんどない」「わら人形流し未遂事件~では長くて言いづらい」「流してた方がなんだか面白い」などが考えられるが、今となっては知る由もない…というかどーでもいい。
■語り…つぐ
あれから20数年、「わら人形事件」として語り継がれているが…今のスカウト諸君がこの事件を知っているかは不明である。少なくとも自分たちのメンバーという狭い範囲では、いつも話題になり、ひそかに語り継いでいる。更にメンバーの飲み会の席では、語りながら酒をついで…「語り注いで」もいる。
…「語り継ぐ」と「語り注ぐ」。
◆若造はボーイスカウト経験者です。
(「一回スカウトになったら、ずっとスカウトである…という永遠のスカウトって言葉がありますので、「経験者です」ではなく、「スカウトです」が正解かも知れません…)。
◆若造がお世話になったボーイスカウト札幌第1団(北海道神宮)が今年発団60周ということで、そこに友人が寄稿したものを紹介します。若造もY三という名前で目撃者談で登場しています(ぺこり)。
若造学歴(マナブレーキ)外伝
Wakazo Manabureki Count Gaiden

WMC005 ボーイスカウトの思い出…。
若造学歴外伝004「わら人形事件の真相」
OB北から南から
「わら人形事件」は1団のスタンド・バイ・ミーと言っても過言ではない!
昭和52年ボーイ隊ハヤブサ班次長 N島E俊
この度は札幌第一団の発団60周年おめでとうございます。今回執筆の機会をいただき重ねて御礼申し上げます。
それでは忘れようとしても忘れられない少年時代のある思い出…「わら人形事件」をちょっと客観的にお届けします(BGMにスタンド・バイ・ミーをかけるとより一層楽しめます…きっと)。
■事件のあらまし
昭和49年の夏に北海道神宮の梅林で行われた札幌第一団のボーイ隊隊キャンプの2日目の朝、3人の見習いスカウト(E俊・Y田M・T部)が忽然と消え大騒ぎになった事件。しばらくして3人は元気な姿で発見されるが、夜中に降った雨が流れている円山公園への坂で「わら人形」を流していたことが発覚、キャンプ撤収後に3人は正座を3時間しながら反省をした。
■なぜ3人なのか?
Y田MとT部はタイガー班(班長H間兄・次長C田B)、E俊はハヤブサ班(班長I井T・次長Y田T)である。その日のタイガー班は欠席・早退者が多く宿泊をしたのは見習いの2名だけ。2人と仲がよかったE俊がタイガー班のテントに消灯前にちょっと遊びに行っていた。以下目撃者談(ハヤブサ班見習いY三):消灯前にE俊がハヤブサ班のテントに戻ってきましたが、同期のH川に「こっちは狭いからE俊あっちに寝ればいいべや!」と言われて、今度は寝袋を持ってまたタイガー班のテントに行きました。
■「わら人形」の作り方
この事件の核心の部分である「わら人形」。当時のスカウトキャンプでは、雨対策でテントの周りに側溝を毎回掘っていました。スノコ板などは使っていなかったので、雨の日はグランドシートが湿気ってきます。その日は雨が予想されたので、あらかじめゴザが各班に支給されました。わら人形はそのテントの中に敷いていたゴザのほつれ部分を集めて作られて流された…と思われていました。
■わら人形は流されていない!
3人がわら人形を流していたとされているが、実際はそうではありませんでした。以下本人談(ハヤブサ班見習いE俊):あの日、早起きした我々は、深夜の大雨の状況を確認するためにサイト周りの点検をしに行ったんです。そして坂を流れる雨水を発見しました。この危険をリーダーに知らせようとしたのですが、「その前にわら人形を流して危険度を確認しよう!」と言うことになりました。
3人はテントに戻り、わらを集めはじめるととても違和感がありました。人の気配がないと感じたら実際誰もいなかったのです。みんな宇宙人に消された?…と思ったら、朝礼が始まっていました。そしてあわてて着替えて、猛ダッシュしたのでした。やっと真実を、この事件の真相を語れる日がきたことを感謝します。
■隠された真実
わら人形は流されてもいないし、作られてさえもいなかった。どうしてその真実が伝わらなかったのか?「猛ダッシュした後の3人は説明がうまくできず…わら人形って言っちゃった」「叱られている見習いスカウトに発言権はほとんどない」「わら人形流し未遂事件~では長くて言いづらい」「流してた方がなんだか面白い」などが考えられるが、今となっては知る由もない…というかどーでもいい。
■語り…つぐ
あれから20数年、「わら人形事件」として語り継がれているが…今のスカウト諸君がこの事件を知っているかは不明である。少なくとも自分たちのメンバーという狭い範囲では、いつも話題になり、ひそかに語り継いでいる。更にメンバーの飲み会の席では、語りながら酒をついで…「語り注いで」もいる。
…「語り継ぐ」と「語り注ぐ」。
2008年08月14日
グリンバー訓練(若造学歴外伝003)
ボーイスカウトの通常活動は班単位行います。
そこの班長と次長をグリンバーと呼ぶことを踏まえて…(緑の棒のワッペンをつけています)。
◆若造はボーイスカウト経験者です。
(「一回スカウトになったら、ずっとスカウトである…という永遠のスカウトって言葉がありますので、「経験者です」ではなく、「スカウトです」が正解かも知れません…)。
◆若造がお世話になったボーイスカウト札幌第1団(北海道神宮)が今年発団60周ということで、そこに寄稿したものを紹介します。
若造学歴(マナブレーキ)外伝
Wakazo Manabureki Count Gaiden

WMC005 ボーイスカウトの思い出…。
若造学歴外伝003「グリンバー訓練」
OB北から南から
「グリンバー訓練」
昭和52年ボーイ隊ハヤブサ班班長 H原Y三
札幌第一団の発団60周年おめでとうございます。2~3年前のことですが、出張に那覇に来ていたスカウト同期のN島E俊と七輪でアグー豚を焼きながら、オリオンビールを飲んで久しぶりの再会を楽しみました。
子供が生まれたばかりの私が子守歌で「永遠のスカウト」や「遠き山に日は落ちて」を毎夜歌っているという話題から、『スカウト活動から得たもの』という話になりました。「自分たちで結論を出さなくてはならないキャンプやハイクなどから判断する力を学んだ。逆にそういう経験のない多くの若者は、自分で決められない・考えられないという指示待ち族が多い。」というE俊の的を射た話に大きくうなずいたことをよく覚えています。
最近、企業の人材教育の仕事に携わることもあります。その時に実感するのは、研修などで講義を聞くだけではほとんど身にならないということ。その時はわかったつもりになってもあくまでつもりでしかなく、逆に講師の立場になって学んだ内容を他の人に教えると理解度は確実に深まり、忘れずに学んだ内容をその後も活かすことができるということです。
そこで思い出したのが、ボーイ時代の班長・次長を集めて行われるグリンバー訓練。身体を動かす実技的なことはワクワクしながらやりましたが、スカウトハウスでの講義的な時間は参加者みんな眠くなってボーっとしていた記憶があります。やっぱり聞くだけじゃだめでしょうと結論付けようとしましたが…違いました。グリンバーは学んだことを班に帰って班員に教えるのでした。そうです、彼らはしっかり深い理解を得ていたのでした。
仕事を通して最近わかったことが、実は子供の頃のスカウト活動の中にありました。そんな体験をさせてくれた全ての方々に心より感謝致します。
ありがとう弥栄(いやさか)!弥栄!弥栄!
そこの班長と次長をグリンバーと呼ぶことを踏まえて…(緑の棒のワッペンをつけています)。
◆若造はボーイスカウト経験者です。
(「一回スカウトになったら、ずっとスカウトである…という永遠のスカウトって言葉がありますので、「経験者です」ではなく、「スカウトです」が正解かも知れません…)。
◆若造がお世話になったボーイスカウト札幌第1団(北海道神宮)が今年発団60周ということで、そこに寄稿したものを紹介します。
若造学歴(マナブレーキ)外伝
Wakazo Manabureki Count Gaiden

WMC005 ボーイスカウトの思い出…。
若造学歴外伝003「グリンバー訓練」
OB北から南から
「グリンバー訓練」
昭和52年ボーイ隊ハヤブサ班班長 H原Y三
札幌第一団の発団60周年おめでとうございます。2~3年前のことですが、出張に那覇に来ていたスカウト同期のN島E俊と七輪でアグー豚を焼きながら、オリオンビールを飲んで久しぶりの再会を楽しみました。
子供が生まれたばかりの私が子守歌で「永遠のスカウト」や「遠き山に日は落ちて」を毎夜歌っているという話題から、『スカウト活動から得たもの』という話になりました。「自分たちで結論を出さなくてはならないキャンプやハイクなどから判断する力を学んだ。逆にそういう経験のない多くの若者は、自分で決められない・考えられないという指示待ち族が多い。」というE俊の的を射た話に大きくうなずいたことをよく覚えています。
最近、企業の人材教育の仕事に携わることもあります。その時に実感するのは、研修などで講義を聞くだけではほとんど身にならないということ。その時はわかったつもりになってもあくまでつもりでしかなく、逆に講師の立場になって学んだ内容を他の人に教えると理解度は確実に深まり、忘れずに学んだ内容をその後も活かすことができるということです。
そこで思い出したのが、ボーイ時代の班長・次長を集めて行われるグリンバー訓練。身体を動かす実技的なことはワクワクしながらやりましたが、スカウトハウスでの講義的な時間は参加者みんな眠くなってボーっとしていた記憶があります。やっぱり聞くだけじゃだめでしょうと結論付けようとしましたが…違いました。グリンバーは学んだことを班に帰って班員に教えるのでした。そうです、彼らはしっかり深い理解を得ていたのでした。
仕事を通して最近わかったことが、実は子供の頃のスカウト活動の中にありました。そんな体験をさせてくれた全ての方々に心より感謝致します。
ありがとう弥栄(いやさか)!弥栄!弥栄!





日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!