2007年06月30日
Wiiなのか?
昨日撮った一枚。

写っている本人がいうのもなんだが…怪しすぎる。
「最近のお仕事」ってカテゴリーに入れました。
もちろんモデルの仕事ではない。
サングラスもアロハもオレンジも撮影箇所も仕事には関係ない。

手に持つ白い箱がお仕事だったりします。
ご存じ現在入手困難の任天堂のゲーム機「Wii」
正直ゲームには疎いので、どれくらい手に入りづらいかはそれまで知らなかった。
実は、若造が企画・広告・広報など担当する、那覇市辻のラブホテル「YOU2」がまもなくプチリニューアル。
Wii全室設置なんていうフロアもあったりするのです。
…しかし。 Wiiが買えない。
一人一台限定の販売をしていた某お店に
並んで買いに行った帰りでした。

ちなみにこっちはプレステーション3。そんなに入手は難しくないのですが、
こっちもプレステ3設置フロアがあるので一緒に買ってきました。

写っている本人がいうのもなんだが…怪しすぎる。
「最近のお仕事」ってカテゴリーに入れました。
もちろんモデルの仕事ではない。
サングラスもアロハもオレンジも撮影箇所も仕事には関係ない。

手に持つ白い箱がお仕事だったりします。
ご存じ現在入手困難の任天堂のゲーム機「Wii」
正直ゲームには疎いので、どれくらい手に入りづらいかはそれまで知らなかった。
実は、若造が企画・広告・広報など担当する、那覇市辻のラブホテル「YOU2」がまもなくプチリニューアル。
Wii全室設置なんていうフロアもあったりするのです。
…しかし。 Wiiが買えない。
一人一台限定の販売をしていた某お店に
並んで買いに行った帰りでした。

ちなみにこっちはプレステーション3。そんなに入手は難しくないのですが、
こっちもプレステ3設置フロアがあるので一緒に買ってきました。
2007年06月29日
▲住めーばー都010【赤いボランティアハウス】
▲住めーばー都010【イスラエルキブツヤクムの赤いボランティアハウス】
1986年2月に半年振りに戻ったキブツヤクムで、ボランティアをながら1ヶ月住みした。半年前にいたボランティアはイギリス人のロジャーだけになっていたが新しく日本人のが同室で出迎えてくれて、2週間後彼の友人のが来て、日本人男性3人の部屋となりました。
キブツヤクムに再訪問した日、半年前に仲良しだった8歳の子供たちが「ボランティアハウスに近づいてはいけない」という規則を破って大歓迎してくれたことは本当にうれしかった。
日本の家族や友人の写真・旅の思い出の写真などをベッドに貼るながら、そろそろ1年間の旅の終わりで、帰国の荷造進める毎日でした。

3人部屋でベットの側面の壁がマイスペース

アルバムには「私のこと覚えてる?」という意味の
ヘブライ語の音「アタ ゾヘル オティ?」と書かれていました。

実はこの時から10年後彼らを訪ねて再訪問しました。
1986年2月に半年振りに戻ったキブツヤクムで、ボランティアをながら1ヶ月住みした。半年前にいたボランティアはイギリス人のロジャーだけになっていたが新しく日本人の
キブツヤクムに再訪問した日、半年前に仲良しだった8歳の子供たちが「ボランティアハウスに近づいてはいけない」という規則を破って大歓迎してくれたことは本当にうれしかった。
日本の家族や友人の写真・旅の思い出の写真などをベッドに貼るながら、そろそろ1年間の旅の終わりで、帰国の荷造進める毎日でした。

3人部屋でベットの側面の壁がマイスペース

アルバムには「私のこと覚えてる?」という意味の
ヘブライ語の音「アタ ゾヘル オティ?」と書かれていました。

実はこの時から10年後彼らを訪ねて再訪問しました。
2007年06月28日
▲住めーばー都009【テルアビブのシゲさんの家2】
▲住めーばー都009【イスラエルテルアビブのシゲさんの家2】
1986年1月、半年振りに訪れたイスラエル、旅立つ前にお世話になったシゲさんは元の家の近所に引っ越していた。以前と同様、テルアビブのユダマカビストリート近辺のアパートに今回も3週間ほどお世話になりました。
イギリスを出発する時は、スコットランドへのセンチメンタルジェーニーで飲み過ぎて救急車で運ばれてから3日目、どんよりとしたロンドンの空のせいなのか、長い長い二日酔いのせいなのか、ほとんど食事が食べられない状態でした。機内食もまったく手をつけられなかったのですが、テルアビブのベングリオン空港についた途端にお腹が減ってきた。自分には湿った霧のロンドンより、イスラエルの空気がやっぱりあっているんだななんて思いながら、バスでシゲさんの家に向かう。
懐かしい話を語り合いながら居候生活の再スタート。最初の1週間はエジプト旅行のバスツアーのチケット手配やビザ発給手続きをし、次の1週間でカイロ・ルクソール・アスワン・アブシンベルと一人旅をしてきました。シゲさんと二人でエイラットまで行って、紅海を見ながらのリゾートしたのもこの時期でした。

※写真は紅海に面したリゾート地エイラットのカフェにて
1986年1月、半年振りに訪れたイスラエル、旅立つ前にお世話になったシゲさんは元の家の近所に引っ越していた。以前と同様、テルアビブのユダマカビストリート近辺のアパートに今回も3週間ほどお世話になりました。
イギリスを出発する時は、スコットランドへのセンチメンタルジェーニーで飲み過ぎて救急車で運ばれてから3日目、どんよりとしたロンドンの空のせいなのか、長い長い二日酔いのせいなのか、ほとんど食事が食べられない状態でした。機内食もまったく手をつけられなかったのですが、テルアビブのベングリオン空港についた途端にお腹が減ってきた。自分には湿った霧のロンドンより、イスラエルの空気がやっぱりあっているんだななんて思いながら、バスでシゲさんの家に向かう。
懐かしい話を語り合いながら居候生活の再スタート。最初の1週間はエジプト旅行のバスツアーのチケット手配やビザ発給手続きをし、次の1週間でカイロ・ルクソール・アスワン・アブシンベルと一人旅をしてきました。シゲさんと二人でエイラットまで行って、紅海を見ながらのリゾートしたのもこの時期でした。

※写真は紅海に面したリゾート地エイラットのカフェにて
2007年06月27日
沖縄大事典◆015沖映通りの街路灯
「絵で見る和家若造的沖縄大事典…への道」◆015
◆<オ>沖映通りの街路灯(おきえいどおりのがいろとう)

那覇市牧志(まきし)のゆいれーる美栄橋(みえばし)駅前ロータリーから国際通りまでの沖映通りの両脇にある34本の街路灯。
2007年6月現在、那覇とゆかりの深い8名の手形のレリーフが飾られている。北側の歩道の美栄橋駅に一番近い35番から国際通り向けに順に「旧ソ連の元書記長のミハイル・ゴルバチョフ」「ちゅらさんの国仲涼子」「歌手のMAXの4人、レナ、ナナ、マ キ、リナ」「プロ野球選手の石嶺和彦、安仁屋宗八」と8名の手が並ぶ。
34本なのに35番があるのは13番がないからなので待ち合わせには注意が必要。
8つの手形のうち一人だけ左手の人がいるということを知っていると見学の時の楽しみが増します。
※写真は35番の街路灯のゴルビーの手形
◆<オ>沖映通りの街路灯(おきえいどおりのがいろとう)

那覇市牧志(まきし)のゆいれーる美栄橋(みえばし)駅前ロータリーから国際通りまでの沖映通りの両脇にある34本の街路灯。
2007年6月現在、那覇とゆかりの深い8名の手形のレリーフが飾られている。北側の歩道の美栄橋駅に一番近い35番から国際通り向けに順に「旧ソ連の元書記長のミハイル・ゴルバチョフ」「ちゅらさんの国仲涼子」「歌手のMAXの4人、レナ、ナナ、マ キ、リナ」「プロ野球選手の石嶺和彦、安仁屋宗八」と8名の手が並ぶ。
34本なのに35番があるのは13番がないからなので待ち合わせには注意が必要。
8つの手形のうち一人だけ左手の人がいるということを知っていると見学の時の楽しみが増します。
※写真は35番の街路灯のゴルビーの手形
2007年06月26日
沖縄大事典◆014ボロボロジューシー
「絵で見る和家若造的沖縄大事典…への道」◆014
◆<ホ>ボロボロジューシー(ぼろぼろじゅうしぃ)

沖縄風雑炊。フーチバー(ヨモギ)やカンダバー(芋茎葉)が入る。
沖縄の年間行事に欠かせない沖縄風炊き込みご飯のことを「ジューシー」というが、それとは別物。そのJUICYという発音から水分の多いものをイメージできるが、おにぎりにしづらくボロボロ崩れやすい。逆に水分たっぷりの“おじや”の方になぜ「ボロボロ」をつけるのかは今だ不明…。
『ジューシーじゃないジューシー&ボロボロしないボロボロジューシー』
※写真は沖縄食堂島菜のボロボロジューシー(ふーちばーじゅーしー)
◆<ホ>ボロボロジューシー(ぼろぼろじゅうしぃ)

沖縄風雑炊。フーチバー(ヨモギ)やカンダバー(芋茎葉)が入る。
沖縄の年間行事に欠かせない沖縄風炊き込みご飯のことを「ジューシー」というが、それとは別物。そのJUICYという発音から水分の多いものをイメージできるが、おにぎりにしづらくボロボロ崩れやすい。逆に水分たっぷりの“おじや”の方になぜ「ボロボロ」をつけるのかは今だ不明…。
『ジューシーじゃないジューシー&ボロボロしないボロボロジューシー』
※写真は沖縄食堂島菜のボロボロジューシー(ふーちばーじゅーしー)






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