2007年03月13日

シリシリウリウリー24:白上げて、上げません

白上げて、上げません

 早いものでコラムを書いて丸2年。我ながらよく続いている。まだまだネタが尽きないのはさすが沖縄である。

 沖縄のバスはバス停で待っているだけでは停まらない。乗車希望者は積極的に手を上げて乗ることをアピールする。一年程前、那覇市内を運転中に目にした光景。バス停で一人、半身車道に身体を乗り出して立つ年配の女性が、トラックが近づき危ないなと思った瞬間サッと手を上げた。交通量の激しい道路でひとつ間違えば車にはねられかねない不自然な姿。実は彼女は目が不自由で耳をそばだててバスが来る音をジッと聞いていた。乗用車と大型車の音の聞き分けはできるが、バスとトラックの音を聞き分けることはなかなか難しいようだ。それらしき音が近づくと手を上げていたのであった。なんとも表現しようの無いショックを受けた。慣れない観光客はもちろん、うちなーんちゅでも目の前をバスが通り過ぎてしまった経験をもつ人は多い。複数の路線の重なるところでは行き先や系統番号をすばやく見極める能力も必要である。

 手を上げないとバスが停まらない理由は、ただでさえ渋滞で遅れがちなので時間短縮のためかもしれないし、バス停でない所でも手を上げると停まっていた頃の名残りかもしれない。まさか運転手の採用基準がせっかちで面倒くさがり屋というはないだろうとバス会社に問い合わせてみた。なんと現在は手を上げなくてもバス停に立っているだけでバスは必ず停車し、行き先のアナウンスをして行くとのこと。乗る人は習慣か、念のためか、みんな手を上げているが、実際バス停には「手を上げなくても停まります」という表示がしてあった。ただ身を乗り出して耳をそばだてていた女性は、今は安全にバスに乗れている…はずである。

 若造マスター経営のカピBarが終わり、松山から歩いて家路へ向かう帰り道はめちゃくちゃタクシーが多い。すれ違う車も追い越していく車も必ず減速し、クラクションをならしていく。その度に驚かされドキッとし振り向き、運転手と目が合うと待ってましたというようにタクシーは停車する。沖縄の明け方のタクシーは手を上げなくても停まります。

※沖縄JOHO 2002年3月号掲載  

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2007年02月27日

シリシリウリウリー23:あぶらがのってる年頃

あぶらがのってる年頃

 お昼時になると突然お弁当屋さんがでてくる。ワンボックスカーの後ろのドアをあけての陳列やパラソルとイスに発砲スチロールの白い箱だけだったりの急造店舗。この無店舗販売の人たちがオフィス街や建築現場などの沿道に沢山並ぶ。
 
 沖縄の沿道でお弁当を販売することには警察の許可は要らない。他県では条例で「行商」の許可をとらなくてはならないところもある。しかし作ることには全国基準の食品衛生法の規制がある。知事の承認が必要でお弁当には製造者・製造日・賞味期限等の記載が義務づけられる。この記載はもちろん消費者保護と製造者責任でもあるが、裏を返すと一定期間が過ぎたものに対して責任はとらなくてよいという製造者保護と自分で見極めよという消費者責任である。その表示がないお弁当は俗に言う「モグリ」。この数がけっこう多いのは沖縄なあなあ文化の象徴かもしれない。蛇足ではあるが、先日食べたお菓子には「悪くならないうちにお食べ下さい」という究極の賞味期限があった。

 そのお弁当は全体的に安価でボリューム満点あるが、揚げ物、炒め物が多く油っぽい。その代表がご飯の上にサンマが一尾どどんとのっているサンマ弁当。そのサンマのほとんどが塩焼きせずに油で素揚げしてある。大量に作る場合、焼くよりも揚げた方が効率よい。全国のホカ弁と称する作りたてお弁当屋さんでもシャケ弁の鮭はその場で焼かずにあらかじめ火を通したものを湯せん等して時間短縮することが多いが、沖縄のホカ弁のシャケ弁はその場で揚げている。また熱が通り易く殺菌効果が高く、保存がきく揚げ物は「もぐり」の弁当屋さんのプライドをかけた製造責任かもしれない。

 焼き魚の習慣は沖縄の家庭でも少ない。南の島の魚たちは淡白な味で塩焼きしただけでは物足りなく、揚げ物やバター焼き、煮付けが多い。その文化が長年かけて根付いているので材料が変わっても料理法は変わらずに塩焼き習慣が少ないのであろう。

 でもサンマを油で揚げるとしつこくなる。揚げるなら脂ののってないものの方がいいはずだが「このサンマ脂がのっていません」という宣伝のうたい文句はまだ見たことがない。

※沖縄JOHO 2002年2月号掲載   

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2007年02月18日

シリシリウリウリー22:冬はオリオンに限る

冬はオリオンに限る

 地元のビールはうまい。論理的にはビールの命である新鮮さと宿敵である移動運搬時の衝撃の少なさからである。そんな理屈がわかっていても和家マスターのカピBarには遠い異国のイスラエルのビール『マカビ』がある。そこには思い入れという旨みが加わる。逆にオリオンビールに物足りなさを感じるのは私だけであろうか?特に鍋などを囲んでじっくり味わって飲むのには合わない。鍋を食べる文化がないと一笑される方もいるだろうが、個人の嗜好ということでお許しを。もちろん夏のビーチパーティーではオリオンビールはうまい。照り付けるギンギンの太陽とまぶしい砂浜には喉ごしで飲むコクのない軽いビールが良く似合う。夏のビーチはオリオンに限る。

 沖縄の夜道は暗い。外灯が少なく不安を感じる場所も多々。防犯用の保安灯などの設置には補助金がでる場合があるが、一般的に歩行者用の外灯の設置・維持費用は自治会・通り会などの費用負担である。冬の北国のように午後4時頃に真っ暗になるなら外灯は生活必要不可欠であるが、いつまでも明るく、普通の人は寝ている時間に活動する一部の人の為にみんなでお金を集めようとはなかなかならないのであろう。

 沖縄の国道も暗い。南部の糸満市あたりでは国道でも真っ暗な道が多い。ためしに夜、運転中に停車してライトを消すと恐いくらいの暗闇となる。予算不足か、整備遅れか、車社会で歩く人が少ないからか(飲みには出歩くけどね)、治安がいいから必要ないのか。調べてみると日本道路協会の道路照明施設設置基準では一日平均2万5千台以上の自動車が通るところには連続照明(一定の間隔の外灯)の設置が決まっており、それより交通量の少ない道路は交差点やカーブ、事故の多い所などを除いて全国的に外灯がないとのこと。

 カピBar常連のさそり座の女性と「やっぱり沖縄の道路は暗い」という話で盛り上がる。二人が出した結論は「暗いのは星をきれいに見るため」というロマンチック説。実際きれいな満天の星空が見える。彼女が帰った後、片付けを終えての帰り道、南の空に光り輝く星座がとてもきれいで思わず立ち止まってしまった。ギリシア神話でもさそりが消えてから登場するのはクレタ島の狩猟。冬の星座はオリオンに限る。

※沖縄JOHO 2001年1月号掲載   

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2007年02月07日

シリシリウリウリー21:シリシリしたい

シリシリしたい

 喫茶店の店頭に掲げられた「白身魚のフライ・ニンジンシリシリ添え」というランチメニュー。“シリシリ”ってなんだ?好感の持てる繰り返し音との出会いである。その日の夜、那覇市内の繁華街の松山で飲んでいると、店のネーネーが乾杯用語の「ハナハナー」ではなく、「ウリウリー」(ほらほらという感じ)と言って乾杯した。本日2度目の好感の持てる繰り返し音との出会い。記念すべき本コラムのタイトル決定の瞬間であった。

 さてニンジンシリシリとはニンジンの千切りと卵を炒めたもの。シーチキンやひき肉などを入れることもあるが、基本的にはニンジンと卵だけのシンプルなもの。砂糖は使わず、ニンジン自体の甘味と卵と油の調和が独特の甘さをうみ、沖縄の子供達の好物である。推測ではあるが、全国の子供に嫌いな野菜調査をした場合、沖縄県のニンジンのランクはかなり下位にくるだろう。もちろんお弁当でも定番のニンジンシリシリのお陰である。

 しかし「シリシリ=千切り」ではない。包丁ではなく、おろしがねセットの千切り用でおろしたもの。仕上がりは包丁で切る角々しさはなく、多少丸みをおびた短めのものになる。他の野菜でももちろんシリシリすることはできるが、同じように作っても大根シリシリ、胡瓜シリシリと呼ぶことはない。ただ、多少曖昧なところがあり「する・おろす」という動作全般に使うこともある。親が子供に大根おろしを作るのを手伝ってもらう時に「大根をシリシリして」と頼んだりもする。しかし出来上がった大根おろしを大根シリシリとはこれまた言わない。

 また料理とは離れるが「シリシリ」は「ゴマをする」的な意味でも使われる。しかし権力者にゴマをするような、おべっかやご機嫌とりではなく、愛のある男女間で使われる“すりすりする”的なニュアンス。そこには愛情という許される甘えが存在する。ニンジンシリシリ同様、砂糖を入れての甘やかし的な味付けとは違う、愛情あふれる自然な甘えである。信頼関係が見え隠れする、とっても沖縄らしい言葉。でも甘いシリシリの日々を夢見て、シリシリしてほしいと女性に頼むと、ニンジンシリシリを作られるのは目に見えている。

※沖縄JOHO 2000年12月号掲載  

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2007年01月26日

シリシリウリウリー20:メッセンジャー

メッセンジャー

 沖縄で生活しようと思った理由の一つにガジュマルの木に住む妖精「キジムナー」の存在がある。北欧のサンタクロース伝説の妖精「トムテール」の事を知ったときのように夢が広がった。2年前、早く沖縄に馴染みたいという気持ちも手伝って多くの人からキジムナーについての聞き取り調査をした。このコラムを書くきっかけでもある。その頃作成された札幌の出身高校の同窓会名簿には勢いで「職業:キジムナー研究家」と記した(笑)。

 聞き取り調査の統一イメージとしては、赤くて長い髪の少年でいたずらと魚の目玉(特に左眼)が大好きで、おならとタコが大嫌い。しかし地域によって評価がかなり違う。わかりやすく二つに分けると悪者とそうではない者。前者は金縛りや火傷、他の悪いこともキジムナーのせいとし、後者は遊んで欲しいから、かまって欲しいからイタズラするという程度。しかしそのイタズラも度が過ぎると困るので小学校にあるガジュマルの木には根元に釘をさしてキジムナーが下りられなくしてあったり、お供え物をしたりするという。おとぎ話の世界ではなく、生活の一部にキジムナーはとけ込んでいる。更に、離島の海人(漁師)は浜辺で目玉だけ食べられた魚を何度も見ていると言い、北部出身の女性は子供の頃、櫛を取られて返ってきた時には赤い毛が沢山ついていたと言う。しかしなかなか私にはピンとこなかった。

 私の心を動かしたのは糸満出身の女性のキジムナー体験談。子供の頃彼女の枕もとにキジムナーが立った。ずーっと夢だと思っていたが、大人になってキジムナーは環境破壊の危機を伝えるメッセンジャーであるという話を聞いて、あの時のキジムナーは本物ではと思うようになった。彼女が夢と思った日の2~3日後に近所のガジュマルの木が切り倒されていたのである。

 いつのまにかその彼女と付き合うようになって、その日は名護にドライブ。ヒンプンガジュマルという大きな木の前で写真を撮っていると一人の少年が仲間に入れて欲しそうに寄ってきた。しばらく3人で仲良く過ごし、その後、何もなかったようにドライブは続いた。3日後私は彼女に振られてしまう。今思うとあの少年は“二人の仲”という環境の危機のメッセージを伝えるキジムナーだったのかもしれない。

※沖縄JOHO 2000年11月号掲載   

Posted by 和家若造 at 13:51Comments(2)TrackBack(2)シリシリウリウリー