2008年07月08日

沖縄大事典◆053タンナファクルー

絵で見る和家若造的沖縄大事典…への道」◆052

◆<タ>タンナファクルー(たんなふぁくるー)


 100余年の昔からある沖縄の代表的なお菓子のひとつ。純黒糖・小麦粉・卵で作った素朴な風味である。語源は創業者である玉那覇さん(タマナハを昔はタンナファと呼んだ)のあだ名のイルクルー(色が黒い)から来ている。

 蛇足であるが、ユタに兵隊さんの霊がタンナファクルーを食べたくて出ているといわれたKさんは、急いで買ってお供えした。しかし「これは本物のタンナファクルーではない」と兵隊さんの霊が言っているらしく大いに困った。

 「オーダー!昔食べたタンナファクルー(by ビストロ カピップ)」。  

2008年04月12日

沖縄大事典◆052マッコー屋ナビー

絵で見る和家若造的沖縄大事典…への道」◆052

◆<マ>マッコー屋ナビー(まっこーやなびー)


 1660年頃に誕生したと思われる沖縄を代表する女流歌人“恩納ナビー”の地元での呼び名。

 “恩納ナビー”は有名になってから付けられた「恩納出身のナビー」という意味の呼び名であり、周りの人たちは屋号の“マッコー屋”を用い、“マッコー屋ナビー”と呼んでいた。“マッコー”とは米粒ほどの実がなる“はりつるまさき”という低木の方言名でナビーの家にはマッコーが生い茂っていたと推測される

 第二尚氏王統の“尚貞”の時代の1673年に恩納間切が制定される前までは“マッコー屋”があった恩納邑は金武(きん)間切であったので、ひょっとすると金武ナビーになっていたかも知れない…。でもかなわぬ恋の相手の金武松金(きんまつがに)と同じ苗字だと何かとややこしかったはずである。

 「金武間切のままだったら離ればなれにならずに結ばれていたかもしれない」…って『ツッコミぬ声も止まれ(つっこみぬくぃんとぅまり)』。


※プチ解説…
①恩納間切が制定されたので、松金は金武間切に戻らなくてはいけなくなる。
②ナビーはその時の気持ちを「恩納岳(うんなだき)あがた…」で歌っています。
③「ツッコミぬ声も止まれ」は「波の声んとまり 風ぬ声んとまり」で始まるナビーの代表歌のパロディー。…誰も気がつかない~そんなところが若造ワールド。

※写真はナビーの代表作。
 1726年尚敬王が国頭巡視の途中に、恩納間切の万座毛に立ち寄った時に読まれた。  

2008年04月11日

沖縄大事典◆051恩納ナビー資料館

絵で見る和家若造的沖縄大事典…への道」◆051

◆<オ>恩納ナビー資料館(おんななびーしりょうかん)


 2005年7月、當山安一館長が本島国頭郡恩納村字安富祖(くにがみぐんおんなそんあざあふそ)の自宅にオープンした私設の恩納ナビーの資料館。

 「ふるさとの偉大な歌人の顕彰と発信の場としたい」と30数年かけて集めた琉球王府時代の代表的女流歌人、“恩納ナビー”に関する書籍や資料が所狭しと並ぶ。

 琉歌集にも10歌ほどしか掲載されていない恩納ナビーの作品が、當山館長著書の「恩納ナビー アイロニーの世界」に25歌も紹介されているのは地元のオバァ達に代々語り継がれてきた心の歌を聞き集めた地道な取材活動の証しである。

 ※写真は當山館長著書の「恩納ナビー アイロニーの世界」の表紙  

2008年04月08日

沖縄大事典◆050高校野球

絵で見る和家若造的沖縄大事典…への道」◆050

◆<コ>「高校野球」(こうこうやきゅう)


 2008年現在、沖縄では日本のプロ野球の春季キャンプが9チーム開催されている。

 飲み屋のおねーちゃんに「野球好き?」と聞くと「好き」と答えが返って来るが、その後「好きなチームは?」と聞くと、ほとんどが「高校野球」と答えが帰ってくる(若造調べ)。

 甲子園の沖縄代表チームの試合は街から人が消え道路が閑散とする。逆に沖縄代表が負けると一足先にその年の大会は終わるし、沖縄県代表が選ばれなかった選抜大会は最初から大会自体の存在がないかと思わせるほど話題にのぼらない。


 ※写真は2008年4月5日の沖縄タイムス朝刊。
  2面にわたる大写真はもちろん春の選抜優勝の沖縄尚学高校



飲み屋のおねーちゃん聞き取り調査つながりの話は
転がる石:RS外伝07「キジムナー研究家」  

2008年04月05日

沖縄大事典◆049甲子園の小石

絵で見る和家若造的沖縄大事典…への道」◆049

◆<コ>甲子園の小石(こうしえんのこいし)


 那覇市の首里高校の校庭に建てられた「友愛の碑」というモニュメントに飾られているスッチーからの贈り物。アメリカ統治下の1958年の高校野球、夏の甲子園大会に春夏を通じて沖縄県勢として初めて出場した首里高校は1回戦で福井県の敦賀高校に0対3で敗退。選手たちが思い出に持ち帰った甲子園の土は当時の琉球政府の植物防疫法にふれる「外国の土」ということで没収、廃棄処分となり海に捨てられた

 その話を聞いた某航空会社の客室乗務員が甲子園球場周辺にあった海岸の石を拾い野球部員たちに贈った善意の小石。小石たちは「友愛の碑」に野球場をかたどって並べられています。



 ※写真は、下段が友愛の碑の全体、と上段は小石たちのアップ。


無理やりの石つながりで…
「硬いミズ、軟いイシ」の話は⇒シリシリウリウリー16