▲住めーばー都005【横浜市港北区「井谷荘B号室」】
【住めーばー都】
若造が住んだ場所を思い出と一緒にカウントして行きます。
「住んだ場所」の定義を「そこが本拠地で1週間以上」というものにしてみました。
▲住めーばー都005【横浜市港北区「井谷荘B号室」】
東急東横線の菊名駅から徒歩10分弱のアパート。それまでのまかない付きの下宿から自炊生活のスタートさせ、大学2~3年の2年間を過ごす。4畳半と3畳の二間で、部屋の前の廊下にそれぞれ専用の台所があり、お風呂はなし、共同トイレ、家賃18,000円くらいだった…と記憶している
両親に2ドア冷蔵庫を買ってもらい(ちなみにこの冷蔵庫、沖縄まで一緒に来ました)、料理は下手ながらも大好きで、色々楽しく挑戦しました。ただ、一人暮らしでなかなか野菜を残すという技術も意識も低かったので、キャベツならメインの炒め物・味噌汁の具・千切りサラダとその食事で使い切ろうと全メニューに投入する…「○○づくし」(というかと他に具はない、それだけ)が多かった。
北海道から送られてきたジャガイモでコロッケを作ろうとしたが、つなぎが甘くて中身が全部出て衣だけになったのも、同じく送られてきた玉ねぎでかき揚げを作ろうとしたら、油が足りなくて衣付き炒めものになったのもこの時期でした。
添乗員のアルバイトで栄養をつけ、丸井のローンで電話を買い、スクーター(ラブ)を買ったり、洗濯機は隣りのC号室のN君のを借り、ママさんバレーのコーチを始め、生活も徐々に変化してきました。冬に寒いので、しっかり着こんで出かけたら外の方が暖かかったということが何度もありました。
イスラエルにはここから旅立ちました。形見分けと称して友人たちや後輩たちに家財道具を買ってもらったり、預かってもらったりし、旅費にさせてもらいました。
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