沖縄大事典◆052マッコー屋ナビー
絵で見る和家若造的沖縄大事典…への道」◆052
◆<マ>マッコー屋ナビー(まっこーやなびー)
1660年頃に誕生したと思われる沖縄を代表する女流歌人“恩納ナビー”の地元での呼び名。
“恩納ナビー”は有名になってから付けられた「恩納出身のナビー」という意味の呼び名であり、周りの人たちは屋号の“マッコー屋”を用い、“
マッコー屋ナビー”と呼んでいた。“マッコー”とは米粒ほどの実がなる“はりつるまさき”という低木の方言名でナビーの家には
マッコーが生い茂っていたと推測される。
第二尚氏王統の“尚貞”の時代の1673年に
恩納間切が制定される前までは“マッコー屋”があった恩納邑は
金武(きん)
間切であったので、ひょっとすると金武ナビーになっていたかも知れない…。でもかなわぬ恋の相手の金武松金(きんまつがに)と同じ苗字だと何かとややこしかったはずである。
「金武間切のままだったら離ればなれにならずに結ばれていたかもしれない」…って『
ツッコミぬ声も止まれ(つっこみぬくぃんとぅまり)』。
※プチ解説…
①恩納間切が制定されたので、松金は金武間切に戻らなくてはいけなくなる。
②ナビーはその時の気持ちを「恩納岳(うんなだき)あがた…」で歌っています。
③「ツッコミぬ声も止まれ」は「波の声んとまり 風ぬ声んとまり」で始まるナビーの代表歌のパロディー。…誰も気がつかない~そんなところが若造ワールド。
※写真はナビーの代表作。
1726年尚敬王が国頭巡視の途中に、恩納間切の万座毛に立ち寄った時に読まれた。
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