鳴かぬなら誰が詠んだのホトトギス…知的好奇心006

和家若造

2009年06月11日 15:30

若造流知的好奇心:wck006「鳴かぬなら 〇〇〇〇〇〇〇 ホトトギス」
※いつもは若造的なんですが、知的と重なるのでリュウ~~。

戦国三大武将の性格を詠んだホトトギスの川柳
(ホトトギスは季語なので俳句なのかも?)

「鳴かぬなら 〇〇〇〇〇〇〇 ホトトギス」

◆鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス (織田信長)
◆鳴かぬなら 鳴かせてみせよ ホトトギス (豊臣秀吉)
◆鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス (徳川家康)


これって本人が詠んだんじゃないですよね。
じゃー誰?


若造も10句ほど考えてみました
鳴かぬなら~ホトトギス



江戸時代後期の松浦清(まつらきよし)平戸藩主らしい…
雅号の松浦静山(まつらせいざん)での随筆「甲子夜話」の中に

なかぬなら殺してしまへ時鳥   織田右府
鳴かずともなかして見せふ杜鵑  豊太閤
なかぬなら鳴まで待よ郭公   大権現様


とあるようです(「甲子夜話」東洋文庫・平凡社より)


■ホトトギスは杜鵑、時鳥、子規、不如帰、杜宇、蜀魂、田鵑などと漢字表記されていたことがあります。
郭公はカッコウのことですが、姿が似てるので間違ってホトトギスのことを指して書かれていたことがあったらしい。

なかぬなら殺してしまへ時鳥   
織田右府…織田信長のこと。
「しまへ」→「しまえ」
現代表記にもっとも近いですね。

鳴かずともなかして見せふ杜鵑   
豊太閤(ほうたいこう:右大臣)…豊臣秀吉のこと。
「見せふ(みしょう)」→「見せう」
秀吉は「鳴かぬなら」はじまりじゃなく「鳴かずとも」だったのね…

なかぬなら鳴まで待よ郭公   
大権現様(だいごんげんさま)…徳川家康のこと。
「待よ(まつよ)」→「待とう」

…という内容を或る人から夜話できいたんだけどという感じで書いています。


実はこの3人の句の他に「さしさわりがあるから匿名希望で、いえいえ最初から仮定の話です」的に2句を書いています。

なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす
鳴かぬなら鳥屋にやれよホトトギス

なかぬなら貰て置けよほとゝぎす
鳴かぬならもらっておけよホトトギス

この2句で松浦静山さんめちゃくちゃ好きになっちゃいました(ぺこり)。

脱線
松浦静山こと松屋清は天保12年(1841年)、82歳で死去。何がすごいって偉大な随筆以外に、17男16女の33人の子供がいた~~。




検索しているとこんな句も出てきました~~

◆鳴かぬなら 鳴かなくてよい ほととぎす (種田山頭火:自由律俳句の俳人)
◆鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス (松下幸之助:パナソニック創業者)
◆鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス (信長の末裔:フィギュアスケート選手の織田信成)


◆若造流知的好奇心⇒インデックス

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